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カラテ物語 

Written by:  G.G. Oyama

Illustrated by:  木村僚佑

                           Ryou Kimura

第1章入門

僕の名前は大郷武蔵{タケゾウ}13歳、身長は165センチ、体重は50キロである。

中学2年得意の学科は数学、理科で苦手は体育である。

数字や記号が黒板に並び、その組み合わせがいろいろ変化すると、その向こうに大きな世界が広がるように感じる。僕は数字も記号にもロマンがあふれているように思う。

机に座って何時間も勉強する事があまり苦にならない、もちろん科目による。

あと趣味は読書。本は、なんでも読むがミステリーや歴史ものが好きだ。

僕がカラテの世界に入るなどとは夢にも思わなかったが、ある事件が原因で入門してしまった。スマホ、ロボ、IT革命の今の時代、なんでカラテの世界が出てくるのか全く僕にはわからない。結局どんなに科学が発展しても、しょせん人間は人間なんだと分かった様で分からない結論をだした。

僕は母親と二人で東武東上線の練馬の町に住んでいる。

父親は6年前に他界した。優しい父親であった。   

 

問題の事件は夏休み前の学期末試験中に始まった。

その日は最後のテストで僕の一番得意な数学だった。

隣の中山慎吾が試験中に答案用紙を見せろと、肘で突いてきた。

慎吾は身体だけは大きいが頭の中は空っぽ、柔道の段もちで威張っている奴。

背が僕より頭一つ位高く体重も70キロぐらいあり、ニキビだらけの丸い顔の中細い目をさらに細くし周りに睨みを利かしているボケ。

数学の広川先生とは普段からよく数学の問題を話し合ったりするので親しかった。

試験中、慎吾が肘で突いてきたとき先生が僕の方を注視しているのが分かった。

目線で慎吾に今駄目だ、と合図する。慎吾の細い目から光が出た。

ヤバいと感じ怖かったが、先生がこちらを見ているから仕方がないので無視。

そこで時間になってしまった。

帰り支度をしていると慎吾とその取り巻きの、藤井浩司に体育館の裏に呼び出される。

嫌な予感がしたが、直ぐに呼び出されるとは思っていなかった。

二人に挟まれるようにして体育館の裏に行く。

後ろの浩司が「テメー、ちょっと頭がいいと思って偉そうな顔するな、生意気だ」

慎吾は黙って、ニキビ面の顔に薄笑いを浮かべながら僕を見ていた。

慎吾の眼は冷たく光っているだけで僕の身体の震えを楽しんでいるように感じた。

身体が金縛りにあったように感じたが必死で、慎吾に「先生が僕の方を見ていたので君に見せられなかった」と釈明する。慎吾は黙って薄笑いをしているだけだった。

いきなり慎吾が無造作に僕の肩と胸を掴み、浩司に「オイ、大外刈りはこうやってかけるんだゾ・・・」と言いながら僕を地面にたたきつけた。眼から星が飛び散った。

頭がくらくらしてきたがすぐに立たされて、「腰車はこうだ」と、また投げられた。

周りの風景がぼやけてきて、気が遠くなってしまった。

涙と鼻血が出る。ちょうどその時、「慎吾君なにしているの、先生に言いつけるわよ」と、遠くの方から女の子の声が聞こえた。 

見るとクラスメートの中崎久美子さんが手にバレーボールをもって傍に立っていた。

慎吾が「柔道の技を教えてるんだ」と浩司を見ながら言う。

浩司も「こいつ柔道習いたいと言ってたんでな」とニヤニヤしながら久美子さんに言い訳をしていた。久美子さんが「武蔵君、鼻血を出しているじゃない、涙も出ているわ・・・あなたたち苛めているんでしょう」という声が聞こえた。

慎吾が「うるせい、タケゾウ今日の稽古はここまで、また教えてやるからな、忘れるな」慎吾と浩司が去っていた後、久美子さんが「医務室に行きましょう」と言って、僕の顔を覗きながらハンカチを手渡してくれた。久美子さんとはいつも成績を競っていた。

とくに数学のテストのときは結構ライバル意識を持っている。

それに彼女はクラス一番の美人とみんなに言われていた。

僕も秘かにそう思っていた。

憧れていた久美子さんに意気地のない、惨めな姿をみられてしまったことが、恥ずかしく口惜しかった。彼女の顔を見られなかったし、学校を辞めようかとも思ってしまった。

 

家に帰ると、お母さんがどうしたの?と聞いてきた。

本当のことを言うと、また学校で奴らにいじめられるので、つまずいて机にぶつかった、とうそをついてしまった。

お母さんとすぐ近くの病院に行く。鼻がチョッと曲がったが、その医者が左手で僕の頭を動かないように押さえ、右手の親指と人差し、中指で鼻を掴み、ぎゅーうと、捻る。

痛かった。思わず悲鳴が漏れてまた涙があふれてしまった。

お母さんも思わず「センセイ・・・」と悲鳴を上げたように聞こえた。

先生は無表情で「鼻から息を出しなさい」と。

涙を出しながらチンチンと鼻から息を出すと少し血が混じった鼻水が出た。

「ハイ今度は、鼻から息を吸って」僕が鼻から息を吸う、すぅーと息ができた。

先生が「鼻は治りました。後はチョット腫れが残るが2~3日冷やせばオッケイです」お母さんが僕の顔をみながら「先生本当ですか?」

先生は笑いながら「ハイ、大偉丈夫です」すごい先生だった。

 

その帰り道、お母さんが「タケゾウちょっと身体鍛えないと駄目だよ、頭が良くても身体が資本だからね、もっと運動をしないと、お父さんは武道家だったんだよ。おまえの名前を武蔵と付けたのは意味があるの」

父親は僕が7歳の時に癌で死んでしまった。長い闘病生活だったらしい。

僕の前では激しい痛みの表情に見せずに、いつもにこやかに優しい顔をしていた。

だから父親が武道家なんて言う印象は全くなかった。

母親の話はちょっと意外な感じがした。

「何の武道を修行していたの?」と聞くと、カラテ道と言って、そのほかに柔道も稽古していたみたい、と話してくれた。

そのまま「だから悪い子にいじめられているだけでは、きっとお父さん悲しむよ」と言ってきた、僕の胸に母親のその言葉が強烈に響いた。

母親にはいじめられたとは言わなかったが、僕が嘘をついていることを母親は見抜いていたようである。何も言わずに父親の話をしてきたのでそう思った。

母親を悲しませてしまい、僕は自分が嫌になった。何とか強くなりたいと心のそこで思うのだがどうすれば強くなれるのか答えは出てこなかった。

 

それから2~3日経って母親が晩飯の時、近所のカラテ道場があるから見学に行ってみようと話してきた。その道場を僕はすでに知っていた。東武練馬駅から北町商店街を抜けて行くと、ときわ通り出る。そこの道沿いに英文で“worldoyamakarate”の看板が出ているのを見たことがあった。昔のカラテ道場とはイメージが違う明るい感じがした。

母親がカラテの道場と言ってきたとき、あの道場だと思った。

気が進まなかったが、黙って母親の言う通りにした。

 

母親は保険会社で働いているが時々時間があるとアルバイトもやっていた。

経済的な余裕はないので、僕は塾には通っていない。

でもクラスの連中に勉強では負けない自信がある。

自然と母親の事を考えると一つ一つの授業を真剣な態度で先生の講義を漏らさないで聞いた。もちろん試験や受験に必要な問題集や参考書は図書館を利用すれば充分である。特別な金を使わなくても予習や復習は誰にも負けないぐらいで来た。

心の底で母親を悲しませたくないという気持ちがあるのか、勉強するのが苦痛にならない、むしろ成績の発表が出るのが楽しみだった。

だから母親がカラテの道場に行こうと、言ってきたとき直ぐ経済的なことを考えた。

家には余分なお金はないのを知っていた。

母親にそれとなくお金のことを話すと、心配しないでいいと言われた。

 

それで、カラテの道場に入門することになったのである。

先生は高杉真太郎という人だった。なんか身体がでかかった。先生はいくらか顔を上げて話すので鼻の穴が見える。鼻の穴を膨らましながら「勉強だけじゃ駄目だよ、身体も大いに鍛えないと。文武両道と言うでしょ、ハッハハ・・・」って笑っている。

なんとなくこの先生勉強ができないと思った。

それも数学は絶対にできない人だな~と第6感が閃いた。

表情にユーモアがあった。カラテ家よりなんかプロレスラーのように見えた。

なんとなく先生の人柄に馴染めそうに感じたのでカラテの稽古をしてもいいと思った。

先生が「名前が良いですね」というと母親が「この子の父親が宮本武蔵をとっても尊敬していたので自分に男の子が生まれたらタケゾウと名ずけ、大人になったらムサシすると言っていました」

「そうですか~、ふ~ン凄いですね、まさにサムライですね。そうですか~、タケゾウからムサシなんか講談を聞いている感じで私も気合が入りますよ、お母さん」

「この子は学科の成績はいつも良いのですが体育の素質がないのかスポーツが苦手のようなんです。大丈夫でしょうか?」

「お母さん、カラテ道は皆のためにあるんです。運動神経が優れている、いないはあまり関係がないんです。自分との戦いで前に前に進んでいくんです、一歩一歩ずつ、タケゾウ君のためになります、きっとなります」

「そぅ~ですか、だと良いんですけど、タケゾウ先生の話よく聞いて頑張らないとね」

僕は正直に言って自信がなかったが、「頑張ります」と二人に小さい声で答える。

でも内心二人がなんで僕の名前で興奮して話しているのを覚めた気持ちで見ていた。

 

真太郎先生が真剣な顔つきで、じぃーっと僕の顔を見つめて「最初は身体が慣れるまで一寸きついが、慣れたら関係ないからね、きっと明日の朝起きたとき身体が違うように感じるが、4~5日すれば関係なくなるからネ、だから慣れるまで我慢しないと、ハッハハ・・・」と言いながら僕を覗き込む。先生の顔つきはなんか厳しい顔だが、眼の中は笑っているようだった。僕のクラスは勿論ビキナークラス。

僕は中学生2年生だがクラスは大人と一緒であった。僕の身体は大きくもなく小さくもない、あえて言えば丁度いい体格である。

初めてのカラテ着、なぜかダブダブである。

おふくろが「先生ちょっとこのユニフォーム大き過ぎません」と言いうと。

「ユニフォームではないんですよ、道着と言ってください。カラテの稽古は身体を自由に動かすので当然大きいのです。このサイズでいいんです」

「はぁ~そうですか」なんとなくではあるが、大きなパジャマを着てるようである。

稽古は夕方の6時から6時45分までがビキナーのクラスで、そのあと中級の人やアドバンスの人が一緒になり合同での稽古になり、7時にビキナーの人は終わる。

稽古が始まって準備運動、何となくではあるがそれほど難しくなかった。

先生が心臓の遠いところから各関節を屈伸させたり捻ったりしながらストレッチをこなす。股関節のストレッチのとき殆どの人が「ウン、アァ~」とか悲鳴みたいな声を漏らしていた。自分でも分からなかったのだが僕は結構身体が柔らかかった。

股関節のストレッチもあまり苦にならなかった。

 

三戦立{サンチン}から正拳突きを始める。先生が「カラテ道は正拳から始まり正拳で終わるのです。必ず身に付けないといけません。正拳は、かんたんなようで一番奥が深い技なのです。良いですか、握りをしっかり。握りの稽古だけで3年はかかると言われています」

思わず、握りだけで3年かかる、信じられない顔つきになってしまった。

「毎日握りの稽古だけする訳じゃないんですから、そんな寂しい顔付しないでいいです。もっとも握りだけ指導したんじゃあすぐ飽きてみんな止めてしまいます。

私もご飯食べられません。」みんな自然と笑いが漏れた。

「ただ普段の生活の中でも握りの稽古は出来ます。ちょっと5分でも10分でもいいんです。どこでも、電車の中でも、便所の中でもできます、ハッハハ・・・」と先生が笑い出す。みんなもまた笑い出す。先生は朗らかな人だ。

自分の好きな事を毎日やって生活しているので悩みがなさそうに見える。

先生に言われて拳を力強く握ると、どうしても肩が硬くなるような感覚が出てくる。

握りの稽古は、肩の硬さがなくなるまでコツコツと続けないといけないらしい。

 

「脇を締めて、引手を大きく鋭く使ってください・・・」先生の指導に従って、僕も見様見真似で正拳を突く。

「良いですか突く腕だけじゃないんです。身体全体の力、スピードのタメを拳頭に込めるんです」なんか難しい。

「自分の技の外に居てはいけません。正拳の技が自分であるような感じです。分かりますか?ちょっと哲学的ですね!ワッハハ」とまた笑う。

つられて僕も笑ってしまった。最初からそんなこと言われても分かる訳がないじゃないですか・・・と言いたかったけど黙って先生の号令に合して突いた。

なんとなくではあるが、さまになっているような気がした。

ときどき先生が号令を掛けながら注意をする。

「手技は足腰からの力を生かさないと鋭さ、切れがなくなります、足首、膝の関節の柔軟性、弾力性を生かさないといけません。腰が伸びないように」

先生の注意を聞きながら立ち方をチェックする。知らないうち腰が伸びていた。

疲れてきたのだろう。腕の力だけで突いている感じがする。

意識して腰を落とすと上体と下半身が安定してバランスが良くなり、同時に正拳に力が入ってきたような感じがした。

突きは足腰からと言う先生の言葉が身体で分かったような気がした。新しい発見だ。

先生が気合とかもっと力を入れろとかスピードを挙げろとかときどきみんなに大きな声で指示をしてきた。

学校の先生の話し方と全く違って言葉にパワーがあって、逆らったらえらいことになると思った。だから僕は夢中で先生の号令に従って動いた。

汗がビックリするほど流れ、こんなに身体を動かしたのは生まれて初めての経験だった。

稽古が終わった後なんか今まで感じたことがない不思議な感動が身体に感じられた。

 

続く。

 

 

五輪の書 序の巻の中に・・・其後なをもふかき道理を得んと、朝鍛夕練してみれば、をのずから兵法の道にあふ事、・・・という言葉がある。

兵法の道に、徹して、徹してぬいた宮本武蔵の言葉は時空を超えて輝き生きている。